えんそく Dr.稔 帰宅(脱退)
— http://ensoku.in/news/1163.html2014.09.05 NEWS
■「ドラム稔、帰宅のお知らせ。」■「ドラム稔、帰宅のお知らせ。」
いつもえんそくを応援して頂きありがとうございます。
腕の不調により、復帰時期未定の長期休養をとっていたドラムの稔ですが、
この度、本人からの申し出を受け、えんそくから《帰宅》することに決まりました。我々は「お家に帰るまでがえんそく」と言う「アタリマエ」に首を振り、
「終わりなき旅路」を死ぬまで歩み続ける事を目的と決め、ここまで5人でやってきましたが、
療養中の稔から「えんそくを辞めようと思う」と《帰宅》の申し出があり、
メンバーそれぞれの筆舌に尽くし難い様々な感情が交錯する中、話し合いが行われ、
えんそくは稔の決断を受け入れることとしました。以下に、稔から皆様へ最後のメッセージを、
続いて、ぶう、クラオカユウスケ、Joe、ミド、それぞれからのコメントを掲載致します。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【Drum 稔】
今回発表させて貰ったとおり俺はえんそくを
脱退させてもらうことになりました。
凄く考えて沢山悩んだ末、こういう結果を選んだ事皆、本当にごめんなさい。
俺は2年前から腕に不調を抱えてて病院に通って痛み止めの
注射を打ち医師とも相談しながらステージに立っていました。
それが原因で腕の筋を断裂したこともありました。
メンバーにも相談しました。
沢山のドラマーにも相談に乗ってもらいました。
腕に負担が掛からないようなフォーム改善のためにドラムのレッスン
にも通いました。それでも俺の心は折れませんでした。
ドラムが好きでした。えんそくというバンドが好きでした。
でも徐々に徐々に思うように動いてくれない身体にストレスや
メンバーとのテンションのずれが生じてきて
俺のせいでメンバーや皆に本当に申し訳ないという気持ちが沢山生まれてきて
心が折れてしまいました。
だからと言って今までやって来たステージに半端な気持ちで
立っていた訳でなくいつ身体がブッつぶれてもいいって言う
覚悟でいつも全開で叩いていました。
それも今ではドラムセットに座るのが正直怖いです。でも俺が今まで5年間えんそくで活動できた事は誇りに思うし
それは皆と、メンバー、事務所のおかげだと思っています。
俺のせいでえんそくがダメになって欲しくないし
もっともっと上に行ってもっと成長していいバンドになって
欲しいし、えんそくにぴったりのいいドラマーが入ってくれればいいなって思ってます。
その時はそのドラマーをちゃんと評価してあげてください。
勝手なことばかり言って本当にごめんなさい。
ただこれまで以上にえんそくの事応援してください。
俺からの最後のお願いです。この決断をしたのを俺は後悔していません。
今のバンドの状況もかえりみず受け入れてくれたメンバー、事務所。本当にありがとう。
今まで沢山の笑顔を見せてくれた皆本当にありがとう。
人生を掛けた楽しいえんそくでした。
これからも俺は笑顔で生きていこうと思います。
さようなら。今までありがとう。稔
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【Vocal ぶう】
稔さんが戻ってくるのを待っていてくれた、ボクラを信じて応援してきてくれたみんな。
あの日、みんなに言ったことが嘘になってしまったことを心から謝ります。
本当にごめんなさい。今回の稔さん《帰宅》の件は、全面的にボクの責任で、
稔さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そして、みんなに何度も何度も嘘を吐いてしまう、有言不実行をしてしまう自分が情けないです。えんそくと言うバンドのメンバーは皆、ボクのわがままに人生を賭してついてきてくれている、
酔狂で、粋で、最高の奴らだと、ボクは思っていて、
だからボクには、その最高のメンバー達と、えんそくを好いてくれるみんなを含めた、
ボクを支えてくれる人達全員に対して、その笑顔を守っていく責任があります。なのにボクは、
ドラムが、バンドが、大好きで、ずっと頑張ってきた人を、
ここまで追い詰めてしまっていたことに、まったく気付けていませんでした。なぜもっと傷の浅いうちに吐き出させてあげることができなかったのか。
「こうなってしまうまでにどうにかできなかったのか?」と悔やんでいます。ボクには、こうなる前にどうにかすることができたはずだからです。
思えば赤坂BLITZワンマンを決めた時も、
稔さんのテンションは他のメンバーと少し違うように感じていました。
きっとずっと一人で悩んでいたんだと思います。
本調子でないまま、どうにかこうにか走ってついてきてくれていたんだと思います。
ボクは後ろを振り向かずに、勢いのままどんどんと加速して、
知らない間に大切なメンバーまで振り切って引き離してしまいました。本当にボクって奴は、人の隠れた気持ちを汲むことがまったくできないのです。
最初に稔さんが腕を壊した時も、言われるまで全然気づくことができなかったし、
痛みに耐えて思うようなドラムが叩けないでいるストレスもわかってあげることができていなかったし、今回もそうです…。
稔さんが「バンドを辞める」と言う決断は、
今まで稔さんがボクラに見せたことのない、有無を言わせぬ断定的な言い方で伝えられました。
それに面食らったボクは、稔さんの考えにまったく理解が及ばず、
「ドラムを叩くこと自体辞めようと思っている」
「ドラムを楽しく叩けなくなってしまった」
と、ボクにとっては同じバンドマンとして限りなくタブーな発言まで飛び出した事で、
メンバーみんながその場では隠していた自分勝手な怒りを、あらわにしてしまいました。話し合いの中で、一番稔さんを責めたのはボクでした。
ボクラはこの5人で「最後のえんそく」。
誰かが抜ける時は解散。俺はそうみんなの前で約束したのに。
偽りなく本当にそう思っていたのに。
なんでそんなことを言うのか!?
どうするんだ?
これでえんそくは終わりなのか?解散しなきゃいけないのか?と憤り、
終わりたくない。えんそくを続けたいと思いました。
あの日の「約束」よりも、
目的を「死ぬまで〈えんそく〉する」とした自らの「決意」を取りたい。
迷わずにそう思ってしまいました。ボクは、稔さんの為には、このバンドを終われない。終わらせてあげられない。
そう思ってしまったんです。稔さんに対しては、何よりもそれが申し訳なかった。
自分でもまったく考えてもみなかったことだったのですが、
ボクがみんなに対して言っていたことの半分は、きっぱりと「嘘」だったわけです。
正真正銘本当の気持ちだったはずのものが「嘘」になってしまった。
それが自分自身とてもショックで、
正直、「あの宣誓」が「嘘」だったことをボクに気付かせてしまった稔さんを責める気持ちが、
話し合いを経た今でもボクの中にあります。ボクはこの後、どうやって、どんな覚悟を持って自分の考えを発信すればいいのか、
どう自分自身を信じればいいのか。
ここから改めて見つめなおして考えなければいけなくなってしまいました。
色々な意味で、「見えていたはずのもの」が遠のいてしまいました。…こんな時に自分のことばかり書いて
「どんだけ自分自分な奴なんだよ…」と思われるかもしれませんね。
自分でもそう思います。そんな風にボクが自分のことばかりだから、「最後のえんそく」と言う言葉が、
稔さんにとって「重し」となって、無理をさせてしまったという部分は大きいでしょう。そして最終的に、稔さんの心はポッキリと折れてしまった。
「腕が治るまで待っていればいい?」
と言うボクの質問に顔を歪められた時、それがハッキリと分かって、うまく引き止める言葉が出てきませんでした。
折れてしまった心をキレイに治す方法が思い浮かびませんでした。
ボクは自分勝手な上に、あまりにも未熟で、無力で、そして誰よりも残酷です。言うなればボクは、自分の身勝手の積み重ねで稔さんの腕も心も折ってしまったのに、
それでも自分の心は少しも折れやしなくて。むしろ遠のいてしまった未来への道を、フル回転する頭ですでに描き始めているし、
破ってしまった誓いのぶん離れる心は、必ず、どんなペテンにかけてでも取り戻そうと決意を固めているし、
絶対にこのバンドは立て直す!と覚悟を決めている。「間違いなく稔さんのいた《過去》を塗り替えて、それ以上のものを見せつけてみせる!」
すでにそう思っています。
ハッキリ言って、
稔さんのいなかったこの夏は、ボクラにとってはとてももどかしく苦しい、「足踏み」のような季節でした。だけど、もう歩き出すことにします。
もう一歩たりとも止まる気はありません。
稔さんの為に、歩みを止めてあげることができないボクは、
すぐにでも稔さんを遠く置き去りにしてしまう気でいます。繰り返しになりますが、
そう思ってしまうことが、稔さんには何よりも申し訳ない。だから、この場では、
「これからもついてきてくれ」とか「これからも応援してくれ」とかよりも、「ボクラはこれからも大丈夫です。」
と言いたいです。
みんなは残されたボクラ、約束を破り歩み続けるえんそくの心配はしないで下さい。
少しだけ足踏みをしたぶんをどうやってぶっちぎるのか、
それはこれからちゃんと見せていきますから。
稔さんが責任を感じるようなマイナスの出来事は何一つ起こさず、何の心配も無いくらい強くなりますから。そしてボクが、なによりもみんなにお願いしたいのは、
将来、稔さんにとって「えんそく」が暗い過去になってしまわないように、
みんなは稔さんの、過去も、未来も肯定して欲しいんです。ボクは「ボクのせい」で稔さんにドラムを辞めて欲しくない。
稔さんも大ウソつきになって、またどこかでバンドを始めて欲しい。
そう自分勝手に思っています。稔さんは今、ドラムを叩くことに対してとても心が遠ざかってしまっています。
でも、ボクは誰よりもバンドをする楽しさを知っているので、
それは麻薬のように忘れられないもので、いつか必ず、どんな形かわからないけど、
また戻ってくるんじゃないかなぁと。どうなるかはわかりません。
今は、傷ついて、《家に帰る事》を選んだ稔さんが、
いつかまた、傷が癒えて元気を蓄えた頃に、
えんそくとは別の旅に出る時、それがどこを目指す道なのかはわかりません。
でも、それがどんなものにせよ、
稔さんにとって、えんそくと共に歩んでいた5年の日々が、いつまでも輝かしいものであって欲しいから。
よろしくお願いします。稔さん5年間、必死でボクを支えてくれてありがとう。
稔さんがいたから今のえんそくも、これからのえんそくもあります。ぶう
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【Guitar クラオカユウスケ】
稔さんよ、何年くらい経ったのか?稔さんと一緒にバンドをやって。なぁ?もう忘れちまったよ。
それは今までの軌跡や、怒涛な毎日を送ってきた、そして今後とも共に歩んでいくものだと思っていたからであろうよ。「土瓶、茶瓶、はげちゃびん、大分の大自然が育んだサイケデリック野郎、文福茶釜こと、ボルケーノ稔です。パートはドラムです。」
いつの間にかそんなセリフも聞けなくなっていたなぁ。その頃くらいだよなぁ。俺は見ていたよ。稔さんは腕を見つめながら歯を食いしばっていたことを。
少し昔話でもしようじゃないか。なぁ。
稔さんよ、覚えているかい?出会ったころのことを。稔さんはテンガロンハットをかぶってました。
えんそくに入るきっかけになった居酒屋での話は覚えているかしら?「俺がえんそくに入った暁には絶対売れさせてみせるぜ!俺はそれほどの可能性をえんそくには感じているんだぜ!だから俺もえんそくに入れてくれぜ!俺に任せとけぜ!」
任せとけぜって…そんな日本語ねぇよなんて思ったんだけども、勢いとパワーと小粋っぷりが俺はピントが合いました。
そしてえんそくに加入した暁にはこんなことをしたいと言っていた。「俺は絶対ワンマンでドラムソロをやるぜ!だから俺にまかせてくれぜ!俺やりたいんぜ!」
「ぜ」がうるさいなぁと思いながらやらせてみました。それはドラムソロとは言いがたいとても短いものでした。おいおい、マジかよ。スタジオでは本番はやばいっすよ!と言っていたのに!本気か!?
が、彼は大満足でした。稔さん、俺はその時思ったんだ。稔さんは心底ドラムを愛しているんだなぁと。「音楽と言うもの、ライブと言うものは個人の物差しで測るものではない」と俺は思う。ドラムソロの長さなんて関係ない。俺は意気だなぁと思いました。
稔さん、俺らってさ、割と二人で話すこと多かったよな。曲についてもそう。ライブの運び方についてもそう。プライベートのことについてもさ。俺は誰よりもいろんな稔さんを知っている気がする。
稔さんは覚えているかなぁ?俺に稔さんはこんなことを言ったことがあるんすよ。「ユウスケ、俺さ、ドラム叩いてる時って嫌な事とか全て忘れられるんだよね」
昨年、夏、稔さんから腕の不調の訴えがあった。
俺は言った。
「いつからだ?病院にいったのか?今後は大丈夫なのか?」稔さんは俺に、メンバーに心配をかけたくなかったのだろう。大丈夫だ、大丈夫だと言っていた。おまけにこんなことも言っていた。
「俺はえんそくの為にも、この腕がぶっ壊れるまで叩き続ける」
俺は正直何言ってんだと思った。あんたの腕が壊れるってことはどう言うことなのか?えんそくは、俺は、稔さんの腕が爆裂するまで叩き続けて欲しくはない。不能になってしまったらどうする?えんそくもだけど、あんたの大好きなドラムを続けられなくなるんだぜ?そこは心意気だけの話ではないんじゃねぇか?と。
それから先、稔さんは病院や接骨院に行くようになった。俺は稔さんの腕の事は気がかりでも、やはり音楽の追及、俺らの進化、それには稔さんは欠かせない。
痛いときは痛いと言えばいい、やれるとこまで行こう。だからこそいつも通りに、ドラムについて褒めたり苦言を投げたりもした。稔さんは「おう、そうしよう!やろう!」と頑張ってくれた。いつからか?それから徐々におかしいなと思うようになった。スタジオではいつもバンド練習の前に個人で入っていたのに、だんだんと姿を見ることがなくなっていた。
そしていつからか、ドラムを叩きながらも苦痛を表情に現すようになっていた。そうだ。自分が本当に賭してきたものがだんだん出来なくなっていくのはそれは身体的にももちろん、精神的に本当に辛いことだと思う。俺は稔さんには無理をさせているかもしれない、しかし、えんそくは止まれない。
ライブの後のアイシング、痛み止めなどを経て彼は頑張ってきた。まさにボルケーノの如く。
それから何本かライブを経て行くうちに、病院に行くと言う話も聞かなくなった。アイシングをすることもあまりなくなった。
俺は、回復に向かってるんじゃないか?実はそう思っていたんだ。よし、これで今後ともお互いで俺の大好きな切磋琢磨ができるなぁやったーなんて思った。そして告げられた言葉
「俺、えんそくを辞めようと思う」
俺は真っ白になりました。
ドラムを叩いてる時が生きがい、ドラムを叩いてる時は嫌なことを忘れられる、そんなドラムが嫌になってしまったなんてさ。
俺は正直憤りを超えてショックだった。すべてが。稔さんの発言も、ここまでの行動も。えんそくへの思いが強かった分、反動で追い詰められたのかな。そして自分の無力さも感じました。稔さんは言った。
「本当にすまん。我儘で申し訳ないが、えんそくはこれから先も続けていってほしいぜ。俺が辞めることでダメにならないでほしいぜ。俺が心から好きなバンドだからぜ、頑張っていってほしいぜ。」
稔さん、俺たちは止まれない。全員が全員、一生を賭けた戦いをしている。俺たちについてきてくれている人らの為にも、まだ見ぬ人の為にも、そして自分自身の為にも、俺たちは今後とも突き進む。
稔さんよ、ありふれた言葉だけどよ、背中を押してくれてありがとう。そして今まで俺たちと共に戦ってくれてありがとう。
稔さんがえんそくでボルケーノしたことが胸を張れるように、俺たちは、これからも走りまくります。見ていてくれさい。みなさん、稔さんは帰宅することになりました。待っていてくれたみなさんには本当に申し訳なく思います。すまない。しかし俺らは旅路を行く。俺らが帰ることは稔さんは望んでいないから。同志を探すことすら望んでいるのだから。そんな稔さんの意志は無駄にはしたくない。そうだろ?そしてみなさんにもこれから先ずっと俺らと共に旅路を歩んでほしい。それが稔さんの、俺らの、そしてみんなさんの意志だろ。
だけど俺らはくじけない、泣くのは嫌だ、笑っちゃおうぜなぁ。今はまだ稔さんは、痛いの痛いのフライアウェイ中だ。気持ちもフライアウェイしているがだ、もしこれから先にまたドラムと向き合い、ドラムのことが大好きになれたなら!大好きなドラムが叩ける時が来たならば!みなさん、見てやって応援してほしいなぁ。あのボルケーノ稔のことだから、きっといつかはボルケるはずさ。
稔さん、ありがとう、いい薬でした。稔さんの未来に、俺たちの未来に、この言葉を贈りたいと思う。
「おせちの話はやめましょう。」
ってか!
稔さん本当にありがとよ!今後ともなんかあればよろしく!そしてみなさん!今後ともよろしくやっていこうぜなぁ!マジでこれこそ!
カミングスーン!!
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【Guitar Joe】
稔さんがお家に帰る事になりました。
つまりは、本人からえんそくを脱退したいという申し出があった。腕の不調は昨年のEASTワンマンの時点で本人から話があり、メンバー全員も把握している事。それが今回の脱退にも繋がっています。
実はその後のイベント出演の際、そんな稔さんの腕を長期ツアー前に少しでも休ませようという意味で、ドラムを全て打ち込み音源を流す形でライブも行いました。当然ながら稔さんの生で叩くドラムでは無いし、ステージ自体は楽しかった半面、今だから言える事だけどメンバー全員悔しい思いもしていました。その後、ツアー中に宿泊先で同室になる事の多かった私は、稔さんとそんな話をしている時に、「もう二度とあんなライブはしたくない」とハッキリと伝えました。
それが稔さんに無理をさせる原因となってしまったのかと考えると、もしかしたら原因は私にあるのかな、と思う部分もあります。私はえんそくに加入して約1年半。稔さん含め他のメンバーともきちんとした付き合いは殆どそれからで。それでも、私が加入した日を境に「最後のえんそく」という言葉をぶうちゃんが発言してくれた事は、喜びと同時に大きな責任のあるものだと捉えていました。
なら、今回の事態で最優先に庇うべきなのは何だったのか。今回に限らず、どうするべきだったのか。今まで間違えたままやってきたのか。
問題が解決するまで活動を休むのか。ライブでドラムの打ち込み音源を流し続けるのか。ライブの本数を抑えるのか。スタジオでの練習を減らすのか。新しい曲に発展を求められないのか。「最後のえんそく」とはそういう事なのか。何を言ったって間違いになるなら、それで構わない。
稔さんはバンドを続けられない、でも他のメンバーは続けたい。
どちらも曲げられず、止められない気持ちで、真剣なんです。
辛い思いをして、痛みに耐えて、それでも笑顔で付き合ってくれた稔さん、ありがとう。一緒にここまで来れて良かった。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【Bass ミド】
豚の世話は誰がするんですか?
タケちゃんはえんそくに入る時言っていました。「俺に任せておけ」と。
でも、任せられたのはスタジオを予約する事だけでした。
加入後、武将→ブス→半分マン→和尚→ロボ→極妻→中国→小人、と色々やりました。
小人、我々は悲しきモンスターを作ってしまったんですね。
だってしょうがないじゃないですか。
しかし、もう大丈夫です。
我々がえんそくですから。
だからタケちゃん、安心して実家のグレープフルーツ農家を継いでください。
そして山口一のグレープフルーツ農家になってください。
グレープフルーツ見るたびに思い出すといいね。
ああ、いたな白塗りで何かあの感じのパートはド?、ドラム?の
タケルって奴の事。
頑張れ稔さん!!―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
えんそくは2014年9月5日をもって、5人から4人へとメンバー編成が変わりますが、
これからも精一杯、終わりなき青春の道を歩み続けて行きます。
皆様もどうか変わらぬ応援をよろしくお願いいたします。えんそく・寺子屋一同